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私の家族 2

こんにちは、てびしです。

今日は前回の続きを書いていこうと思います。

父は、母が緊急手術を行っている間先生から呼び出されなにやら話をしていました。

後から聞いた話では、その時に先生から

「回復の見込みは限りなく低い。今の段階なら、延命させるか、延命治療を中止するか選べます。選んでください。」

そう言われたそうです。

日本の法律では薬物投与などによる安楽死は定められていませんが、延命治療を中止することでの尊厳死は可能です。

父は、延命を選びました。

手術が終わり、集中治療室に運び込まれた母に会いに行きました。

目と口が半開きで、顔がひきつり、長かった髪は丸刈りにされていて当時幼かった私には衝撃的なものです。

今まで毎日母親を殺してくれと神様に祈っていた私は私があんなお願いをしてしまったからかもしれない

と怖くてたくさん涙がでてきました。

数日たってから、父とラーメン屋に行った時母のことがふと頭によぎり泣いてしまった日をよく覚えています。

小学校4年生のときに植物状態になった母は、私が高校2年生の時に亡くなりました。

最後はあっけないものでした。

朝起きると父が「てびし、ママな、死んじゃった。学校休んでこれから病院行こう」と開口一番に言いました。

地元から少し離れた病院へ車で向かい

お医者さんから案内されたのはいつもいく介護病棟とは別の場所にあるこじんまりとした霊安室でした。

お線香が焚かれていて、母の体はとても冷たくなっていました。

それから数日して葬儀を行い、遺骨を墓にいれて、慌ただしい日々が終わりました。

私は母は小学校4年生のあの日に死んだと思っていたので、すぐに気持ちを立て直すことができました。

人工呼吸器なしでは呼吸も満足にできない。胃につないだチューブがなければ食事も取れない。1人では体も動かせない。

目も閉じることができないので、目薬を定期的にさしてもらわなくてはいけない。尿道カテーテルとオムツをしなくてはいけない。

きっと母にとっては生きているほうがよっぽど辛い数年間だったでしょう。

でもこれでようやく、母も、父も、私も楽になれたんだなって思いました。

母が私に残した心の傷は消えません。

でも、母を許してもいいかなという心の整理はできたと思います。


ここまで読んでいただきありがとうございました。


by 1019sunshine | 2019-08-22 12:24 | 波乱万丈人生記 | Comments(0)

地元から飛び出てカルフォルニア州コスタメサへ!語学学校を経て、コミュニティカレッジへ入学。目指せ4年制大学編入!


by てびし